ほんのり「抱きしめて殴る」の続き
「スノウ」
見かけた後姿に、声をかけながらその肩に触れようとした。
ただ、それだけのことだったのに、振り向いたスノウは僕の手に気付いていたにも関わらずスルリと避けた。
伸ばした手が宙を掴み、恥ずかしくなってその手で頭を掻くとスノウは何か?と小さな声で僕に尋ねた。
「あ、うん。ユウ先生が一度診察に来いって」
漂流していたところをこの船に拾われて数日。漂流していたと言っても歩けないほどではなかったけれど、それでも最初はユウ先生のところで安静にさせていた。数日でそれからは解放されたものの、その後一度も診察に来てないので気がかりだとモルド島へ行く際に連れて行ったユウがぼやき、僕はそれなら彼に伝えると言ったのだった。
「わかった。行くよ」
素直にスノウは頷き、それじゃ、と僕に背を向ける。反射的に手を伸ばそうとすると、気配を感じ取ったのかスノウがまだ何か?と振り返った。
「ううん、何も」
「そう」
今度こそスノウは背を向けて歩きだした。それを止められもせずに呆然と自分の手のひらを見つめる。そう言えばスノウがこの船に来てから触れた覚えが、ない。
思い返せばスノウが手を伸ばすとき、それは必ず触れる手前で止まっていた。触れてはいけないと思っているのか、今や罪悪感の塊のような彼は僕をどう思っているのか一切触れようとも、また触れられようともしなかった。
「欲求不満か、僕は」
触れたいと思う。恋焦がれているわけでもないのに。
ただ僕と彼の間にある、僅かな空間が許せなかった。
訓練所に寄ったら、ついさっきまで居たスノウがアクセサリーを忘れていったので届けて欲しいと頼まれて素直に預かる。
物を渡すときならば、その手に触れられると思ったからだ。
「スノウ」
階段を上がってすぐ、4階をうろうろしていたスノウを見つける。呼びかけに気付いたスノウは顔を上げると一瞬眉を寄せた。僕に会いたくなかったのだろうか、と僅かに沈む気持ちを抑えて手にしていたアクセサリーを見せる。
「あ」
「これ、訓練所に忘れてたって」
「ああ、ありがとう」
手のひらに乗せたまま、彼を待つ。彼は手を伸ばしかけ、止まった。
「スノウ?」
さあ早く。
呼びかけにスノウは戸惑いながら手を伸ばし、やがて――手のひらから零れ落ちていたアクセサリーのチェーンを指に引っ掛けるとそれを引き寄せた。僕の手には触れずに。
「ありがとう」
「…ううん…」
肩を落として手のひらを見つめる。どうして彼は触れないんだろう。この手を伸ばせば、またかわされてしまうのだろうか。
どうして。
それは突然だった。階段を上がりきったところで立ち止まっていた僕の背中に何かが当たる。それがナレオと喋っていて前を見ていなかったダリオだったとわかったのはその後の話で、自分の手のひらを見つめていた僕には何が起きたかわからなかった。
ただぐらりと身体が傾いたのに、咄嗟にその手を地面に向ける。
だけど、手が地面に触れることはなかった。代わりに暖かく柔らかいものが僕を包み込む。ゴワっとした布が頬を擦った。
「パパ!ちゃんと前を見てないと危ないと」
「わりーわりー」
ガハハハ、とダリオが笑って大丈夫か?と声をかけてくる。僕は頷いたような気がするけれど半分夢心地で覚えていなかった。
がさがさの、安い布だ。そろそろと手を伸ばして抱きつくように触れれば、僕を包み込むものはビクリと震えた。離れようとしたところを無理にでもと背中に腕を回す。
抱きしめているのか、抱かれているのかわからない。
わかるのは布の感触だけだった。
おそるおそる顔を上げる。俯いた彼の顔を覗き込む形になれば、彼は耳まで赤くして、それから青くなった。
「は、離してくれ…!」
「離す?」
「背中、離して…」
懇願され、戸惑う。そこまで僕は嫌われていたのか、それとも彼の罪悪感からの言葉なのか。どちらにしろ早く離れたいと願われるのは多少なりともショックだった。
「スノウ…」
触れていたい。ああ、やっぱり僕は抱きしめたかったんだと気がついたところでスノウは耐えられないとばかりに頭を振った。
「は、恥ずかしい…よ!」
「スノウ!」
がばっとスノウに抱きつく。僕を抱きかかえていたはずのスノウが尻餅をついて僕がその上に乗り上げる形になったけど、そんなことはどうでもよかった。
抱きしめて、頬を擦り合わせる。
暖かい、柔らかい。スノウの肌にようやく触れられた喜びでいっぱいだった。
ダリオにナレオの教育に悪い!と引き剥がされたのは2秒後の話。
抱きしめたかった4主