隣を並んで歩いてふざけて笑いあって、それでも埋まらない、距離。
気がつけば一歩、距離があった。昔はそうでもなかったのに、じゃれつくように抱きしめて、笑いあって、ふざけたこともあったのにいつしか一歩の距離が出来た。
たった一歩。だけど、一歩。確かな距離が。
ぶつかるように触れた指先に、それを握り返すこともなく「ゴメン」と小さく謝るような。
そこに流れる、空気。
気付いているんだろうか。この、空気に。
夏も過ぎ、2学期が始まって一月もすると明らかに温度が落ちる。日に日に落ちていくその温度は、吐く息をも白く染めた。
「さっみー」
「もう冬だからね」
「げー。嘘だろー。まだ夏休み終わったばっかだぜ?」
「8月中旬から暦の上では秋だったんだけど」
そんなことぐらい知ってらあとぶっきらぼうに大輔は呟くとはぁ、と息を吐き出した。見る間に白く、それから透明に消えていく。
「あー今度マフラー買いに行こうかなぁ。青色のが欲しいんだよなあ」
「大輔が青色?」
「んだよ、似合わねえとでも言いたいのか?」
「そんなこと……うーん…」
ないよ、と言おうとしてから想像してみたらしく、賢は暫く考え込んで難しい顔をした。
「あんまり…似合わないような気がする」
「お前なあー」
ふざけて振り上げた拳に、賢も笑いながらガードする体制に入る。けれど、その拳は賢には触れることはなく、落ちた。
「…じゃあ、何色が似合いそうだ?」
「そうだな…大輔なら、赤色かな」
「赤ぁ?何か嫌」
「我侭だなあー。じゃあオーソドックスに灰色にすればいいだろ」
「灰色だったら俺より賢の方が似合いそうだしなー」
「別に僕に似合いそうとか、今は関係ないじゃないか。君が欲しいものを買えばいいだろ」
「じゃあ、やっぱ青」
「青かあ」
折角決めたのに、また賢が不満そうに零すのに大輔は若干賢に詰め寄る。一歩、距離を残したまま。
「何だよー。お前なあ」
「ゴメンゴメン。青でもいい色だったら、きっと大輔にも似合うよ」
賢が笑いながら一歩引く。それにあわせるかのように大輔も身を引いた。
「じれってえ」
ポツリ、呟いて。
ゆりかもめに揺られて、新橋で乗り換えて田町から乗り込んできた賢に大輔は笑いかける。
「よ」
「おはよう。ちゃんと時間どおりに君がいるなんて、珍しいね」
「お前なあ」
「でも大輔、こっち遠回りじゃないか?東京駅に戻って中央線使った方が」
「あーもう乗っちまったし、めんどくせえ」
「まあ、別にいいけど」
電車は既に次の駅を通過して渋谷方面へと向かう。次第に無口になる賢に、大輔も何も言わずにドアの曇った窓越しに流れる風景を眺めていた。
こういった空気がとても苦手だ。少し前まで賢と一緒にいてどれほど二人が険悪な雰囲気になっても、こんな空気が流れたことなど一度もないのに。最近いやに感じる空気に、大輔は重苦しい溜息を吐いた。賢が反応して「どうかした?」と問い掛けてくるのに首を横に振る。
じれってえ。
こんな空気が流れる以前の、自分だったなら。今の空気をどうしただろうか。何とかしようと努力したはずだ。駄目でも、何でも。
こんなじれったい思いは少なくともした覚えが無い。
「駄目だ」
「さっきからどうかしたのか?気分でも悪いとか」
「そんなんじゃねえよ」
「じゃあ、どうしたって言うんだ」
少し怒ったような口調で賢が問いただすのに、大輔は賢をちらりと見ただけで溜息を吐いて首を横に振った。
「大輔」
「……ちょっと、人の居ない場所に行きたい」
「……わかった。じゃあ、次で降りよう」
こくり、と頷いただけで結局顔すら上げない大輔に今度は賢が溜息を吐いた。
「で、どうしたんだ?」
人気の無い公園を見つけて、賢はベンチに腰を降ろした。大輔もその隣に座り、やっと意を決したかのように顔を上げる。
「俺、最近お前と一緒に居るとすげえ落ち着かない。何か、居づらい」
「……それは、僕が嫌いとかじゃなくて?」
「違う。ただ、落ち着かない」
「……それは」
言いかけて言葉を切った賢に大輔が今度は問い掛ける。が、賢は視線を僅かに逸らして、口元に手を当てて黙った。
「賢」
「……それは、僕も感じた」
吐き出すように、賢が呟いた言葉に大輔が賢の口元に当てた手を取る。
はっとしたように賢が顔を上げて大輔を見た、と同時に大輔は懐かしい感覚に胸が満たされるのを感じた。
「……お前に触るのも、久しぶりだ」
「そうだっけ……?」
「そうだろ。何か、変な空気になってから、俺、お前に触れることも出来なかったから」
「……別に、なんてことないのに」
「そうだなー」
ただ触れるだけの、一体何を怖がっていたのだろうかと自分で思うと大輔は笑った。賢も笑みを浮かべて、大輔の手をそっと握り返した。
落ち着かない空気はまだそこにある。けれども少し混じった違う空気に、何かわかりかけて、今のままでもう少し居てもいいかと、ぼんやり思った