ポツポツと空から零れ落ちる雫にあと一時間だけ待ってくれ、と願ったところでそんな勝手な願いが叶うわけもなく、まだまだかかる帰路に最早濡れずに帰ることは出来ないであろうと、本降りになってきた雨に身を任す。
白いシャツがべっとりと身に纏わり付き、肌に張り付く。頭の先からずぶ濡れになって、髪の先から頬を伝って流れるのを左手の甲でぐいと拭うが、すぐにまた頬を伝い、零れる。
眼鏡にも水滴が付き、視界が悪い。けれども外したところで視界が悪いのは一緒なのだから、手間を考えてこのままでいいだろう、と思う。
一度濡れてしまえばあとはどうでも良くなって、今更100円均一で傘を見かけても買う気にもならずにそのままの姿で歩いた。
行き交う少女の、その体躯に見合わぬ大きな黒い傘が肩にぶつかる。少女の身長が丁度そのくらいだったのだろうか、とぼんやり考えていると少女が振り向きざま、小さく謝った。
「すいません」
「いえ――」
謝る少女に、振り向いて何でもないと意思表示をする。すると少女はくすり、と笑った。
「石田君は傘、持って来なかったの?」
「……朽木さん」
水滴で見づらい視界の中、黒髪の少女が黒い大きな傘をくるり、と肩元で回してからそっとその傘を差し出した。
「近くまで送りましょうか?」
「…結構だ。見ての通り手遅れだからね」
「でも、これからは濡れないで済みますわ」
笑顔であるのに有無を言わせぬ口調で少女は傘の中に僕を入れる。
「…石田君の家はどちらかしら」
「君の、家はどっちなんだい」
黒崎の家は、と呟くと少女は首を傾げて「さぁ」と笑った。
「こちらでいいの?」
僕の向かっていた方向に――彼女が向かっていた方向とは逆方向に――少女は歩き出す。僕もその隣に並んで歩きながら、そっと彼女の手から黒い傘を奪う。
「あら、ありがとう」
「いいえ。君が持っていると入りにくいんだ」
「そうね、気付かなかったわごめんなさい」
「それより、いつまで君はそんな口調なんだい」
尋ねると、少女は不思議そうに首を傾げる。不思議なのはこちらなのに、と思っているとふわり、と微笑んだ。まるでただの少女のように。
「制服の時はクラスメイトだもの」
当然のような返答に、当然だと思えなかった僕は足を止める。少女は睨むように振り返った。それはいかにも彼女らしく、偽者かと思った僕の考えを打ち消す。
「…家に帰るまでが修学旅行、みたいな言い方だね」
「そう?」
「それは、彼が言ったのか?」
「…ええ」
こくりと少女は頷き少しだけ、目を細めた。
無言のまま僕たちは歩いた。たまに同じ制服を着た人とすれ違う。目立たない僕と、目立つ彼の側にいつもいる彼女が明日にはまた噂になってしまうのだろうか。
それがどのような噂になるか、想像が容易いことに溜息を吐くと少女がぱっと顔を上げた。
「どうかなさいました?」
「いや…もう、ここでいいよ」
「ここで?」
「ああ、ありがとう」
「そう」
ふっと笑うと、傘を返そうとした僕の手を無視するかのように少女は降りしきる雨の中に飛び出す。
「朽木さん!」
「それ、お貸ししますわ」
「待って、待つんだ!」
伸ばした僕の手を寸でのところでひらりとかわす。恐らくその身の軽さを武器に戦ってきたのであろう彼女は、ふわりとスカートの裾をなびかせながらくるん、と回ると微笑んだ。
黒い髪がもうすっかりと濡れてしまい、その髪の先から雫が球になって零れ落ちる。白いシャツが濡れて、彼女の細い体に張り付いていく。
「私なら大丈夫ですから」
「君が風邪を引いたら、彼が」
「…それは、貴方の方ですわ」
「え?」
呟いた彼女の言葉の意味を考えている間に、彼女は僕に背を向ける。
「あ」
「人間は面倒だ。それに鈍い」
「一体どういう意味なんだ」
「意味も何も、貴様が考えろ」
「朽木さん!」
「ごきげんよう、石田君」
振り返って学校の「朽木さん」になって彼女はいつもの挨拶をするともう振り返ることなく雨の中に駆け出していった。
取り残されて、ふと手元の傘を柄にかかれた文字に気がつく。
傘の柄には、15、と書かれていた。