強い風に思わず襟元をぎゅっと握ると手がひやりと冷えたのに賢は苦笑いを浮かべる。すっかり寒くなった気候と強い冷たい風はもう冬だと言うのに落ち葉が舞い落ちる街路樹の様はまるで秋のようだ。
ひゅう、とまた一際強い風が吹き、賢はきつく襟元を合わせる。首元が弱いのだから、マフラーを巻いて来れば良かったと後悔していると頭にふわりと何かが乗って、視界が突然ゼロになった。
「え?」
何事かと慌てて手を伸ばし頭の上から物を退ける。手に取って確かめるとどこかで見た事あるような白い帽子だったのに首を傾げたが、すぐに持ち主が探しているだろうと風上を見てみる。
――人の姿は、無かった。
「一乗寺君」
「え?」
やはり人の姿はない。けれど聞き覚えのある――この帽子によく似た帽子をいつも被っている人――の声に賢はきょろきょろと辺りを見回し、やがて辿り着いたのは階段の上だった。
「高石」
「帽子」
「え?あ、ああ…はい」
「サンキュ」
帽子を受け取るといつものように被り、タケルは賢を見る。
「どうしたの?大輔君?」
「ああ、うん」
「そっかー。じゃあ暇ないよね」
少し残念そうにタケルは呟き、賢はすまなそうに「ゴメン」と謝った。
「高石は?」
「ああ、僕は…鳴ってるよ」
タケルが答えようとした矢先に賢のDターミナルから呼び出し音が鳴り響く。恐らく大輔からのメールであろう。賢はいそいそとカバンからDターミナルを取り出すと蓋を開いた。
Dターミナルに向かう賢をタケルは無言で見る。賢はタケルに気付かずにそのまま蓋を閉じ、溜息を吐いた。
「暇、出来たよ」
大輔との待ち合わせのグラウンドは冬も近いからか見渡す限り誰もおらず、タケルは周囲を見回しながら階段を降りて行った。
「誰もいないのにボールが一つ」
「…忘れ物じゃないの?」
「そうだろうね。ねぇ、サッカーかバスケしない?」
「サッカーかバスケって」
「じゃ、バレー」
「バレー!?」
提案に賢が素っ頓狂な声を上げたのにタケルは堪えられずに大声で笑い出した。賢がふて腐れるのを見て謝りながらも腹を抱えて笑い続ける。
「は、あーもうしんどー」
「疲れるくらいなら笑うなよ」
「あはは。ごめんごめん。でもバレーも嫌なら…何する?」
ボールを使った球技に拘らなくても良いのだがタケルはどうも残されたボールが気になるらしく使わずにはいられないようで、賢もそこまで頭が回らず球技ばかりを考えていた。
しかし幾ら考えても思いつかず深く溜息を吐く。
「……別にバレーでも」
「やっぱサッカーやろうよ」
やっとのことで妥協しようとした賢を遮りタケルが提案を示す。そのタケルのあまりの笑顔に賢は拍子抜けを喰らいながらも頷いた。
なんだかんだあったものの賢はそれなりにサッカーは上手い。タケルはスポーツは得意とは言えテクニックが違いすぎるのに小さく舌打ちをした。
「高石」
「何」
「休憩」
「しない!」
ムキになってくるタケルの姿に賢も手を抜きかける。がタケルは恐らく見抜いてしまうだろうしそういった手加減の類は好まれない気がしたのですぐに気を引き締めてボールを操った。
「ねえ、一乗寺君」
「何」
「賭けしようよ」
「賭け?」
タケルが足を止めたのに合わせて賢もボールを足で止める。すっかり温まった体に冬の冷たい風が数倍冷たく感じられてぎゅっと両手で体を抱きこむようにする。
「そ、ここに大輔君が来るまでに僕が――あそこのゴールにシュート出来たら僕の勝ち」
「何を賭ける?」
「そうだなー。キスってのはどう?」
「キス!?」
「あ、僕に君がするんじゃないよ?僕が勝ったら僕の指定した人に君がキス。で、君が勝ったら君の指定した人に僕がキス」
「ええー…誰に?」
「それは後のお楽しみ」
一瞬だけタケルはにこりと柔らかい笑みを浮かべる。それを合図のように賢のボールに向かってきて足を伸ばしてくるのに賢は必死にボールを高く上げた。
姉に急に頼まれたおつかいをこなして大輔は賢との待ち合わせ場所に急いだ。何だって姉はこんな時に限ってお使いを頼むんだとかブツブツ口で言いながら必死に走る。
グラウンドが見える位置まで来てほっと一息吐いて休み、顔を上げると何だか見慣れない光景が目の前に広がっていた。
賢とタケル。それは大して珍しくない。賢とタケルがサッカーをしている。それは少し珍しいかもしれない。賢とタケルがサッカーをしていてタケルが必死にボールを奪おうとしている。今まで見たことないくらいに必死に。
珍しい。
走って来たせいか頭がきちんと働かず大輔はぼんやりとそんなことばかり考えていたがやっと思い出したのか階段まで走る。
「けーん!」
呼ぶと賢がはっとしたように顔を上げる。それから嬉しそうに笑った。あまりの嬉しそうな表情に一瞬ドキっとさせられてしまう。
ところがタケルはすかさず賢の足元からボールを奪うと遠くにあるゴールに一目散に駆け出していた。
「高石!大輔来たじゃないか!」
「言ったでしょ。『ここに大輔君が来るまで』って」
「『ここ』って!」
「僕のところまで、だよ!」
「ずるいーっ!!」
今更追いかけても間に合うとは思えない距離まで来たのに賢は走り出す。しかし間に合わずにタケルのシュートは無人のゴールへと突き刺さった。
「高石……」
「約束は約束だからね。丁度来たことだし、大輔君にしてよ」
「俺が…どうかしたのか?」
賢とタケルの尋常でない様子に大輔も及び腰になりつつ尋ねる。賢は暫く何かもごもごとタケルに言いたそうにしていたが諦めたかのように大輔に振り返った。
「大輔、ゴメン!」
「え?」
何が?と問う暇もなく大輔の思考が真っ白になる。
頬に妙に柔らかい感触。ええと、これは世に言うキスですか?
大輔が誰にしていいのかわからない問いかをが頭の中でぐるぐるとする中、賢は顔を真っ赤にしてタケルに向き直った。大輔も同じようにタケルを見上げる。
この上なく満足そうなタケルの笑みが矢鱈寒かった。
「――と言うわけなんだ。ごめん大輔」
「そういうことかよ…」
はぁ、と大輔は大げさに溜息を吐く。賢は慌ててゴメンを連発し、タケルはケラケラと笑い声を上げた。
「でもさぁ、あのまま君が勝ってたら誰にした?」
「え?誰にもしないよ。なかったことに」
「それは駄目」
「えー…じゃあ、ヤマトさん」
「何で?」
タケルの追求に賢は眉を寄せる。ややあって答えたのは「なんとなく」だった。
「えー何で」
「じゃあ、高石は何で大輔にしたの?」
「そんなの決まってるじゃない」
えへん、と偉そうにタケルが胸を張る。その仕草に賢も大輔も期待に満ちた目でタケルを見た。
「だって大輔君一番反応面白そうじゃない」
当然のようにタケルは言い、賢と大輔はつまらなそうに膨れる。少しも自分の発言を疑わないタケルはただ首を傾げた。
「何か…違う?」
「いや……わからないわけじゃないけど」
「賢までそう言うか」
むっと大輔が眉を寄せて立ち上がると賢とタケルの真正面に立った。
そのまま二人の頬にキスを落とす。
呆然とした賢とタケルの顔を交互に見て、大輔は勝ち誇ったように笑った。
「お前らだって反応、面白いぜ」