日課でもないし、義務でもないが己を鍛えるべく地下への入り口へ向かったところで長い髪の女にばったり会った。
「あれ、ヴァリラ。今から?」
馴れ馴れしく名を呼び捨てにする、サナレに曖昧に頷く。サナレは何か面白いものでもあったのかにやにやと笑っていた。
「なんだ?」
「いーえ!何もなくてよ」
変な言葉遣いになっているのにギロリ、と睨む。大抵のヤツはこうすれば黙るのにこの女にはそれも効かない。全くいつからそんな間柄になったのか、と思ってあいつの顔が浮かぶのに苦々しい思いが過ぎる。
トン、トン、とその女の後ろから小さい子どもが階段を駆け上がってきた。ああ、と女も振り返る。
「遅いわよ、ラジィ」
「サナレが早いんだよーう――ヴァリラ!?」
いつの間にか仲良し、になっていたらしい女と子どもが和やかに言葉を交わし――何故かラジィはオレを見て硬直した。人の名を叫び、目を何度も瞬かせて、何度か腕で擦って。別に構わないがそれは目を痛めるぞ。
「叫ばなくても聞こえている」
「だ、だって」
「ラジィ!行くわよ!」
言いかけた言葉を遮り、ひくひくと唇の端を痙攣させサナレはラジィの腕を掴んだ。ラジィはえ?とサナレを見上げて、オレを見る。
「サナレ」
「いーから!わかるでしょ、ラジィ」
「……うん」
迫力に圧倒された、と言うべきか。未だ幼い子どもに、ドス黒いオーラを纏った(また何かに操られでもしているのか?)女に逆らう力など持たされているわけもなかったのだろう。
「それじゃあ、またね」
「……ああ」
また、がいつのことを指し示しているのかはわからないが、曖昧に頷く。サナレはそのまま全速力でラジィを引きずってその場を後にした。
「…なんだ、あれは」
あいつの友人にはわけのわからないのが多いな、と思って自分もその『わけのわからない』連中に含まれるのかと気付かされ、深い溜息を吐いた。
材料もほどほどに集まったし、修行としても、武器の成果を確かめる上でも充分だろう、と思い引き上げようと階段を上がる。が、遠くから聞き慣れた、がしょがしょと派手な音が聞こえるのに入り口で足を止めた。
「クリュウ」
「ヴァリラ!」
がしょがしょと武器がぶつかる音を鳴らして、クリュウは目の前で止まった。にへーと笑うその顔はいつもよりも緩んでいる。いつも、緩んでいるが。
「なんだ。今からか?」
「ううん。ヴァリラがここに居るってサナレに聞いて」
「…それで。オレに用か?」
「うーん。まぁ、そんなとこ」
「そんなとことは何だ」
煮え切らない返答にむっとするとクリュウは緩んだ頬を僅かに引き締めて(それでも緩んでいるのだが)そっと、オレの頭を撫でた。
「…クリュウ?」
何をしているのだ、こんなところで。と言いかけてそもそもこんなところでなければ良いのか、という疑問にぶち当たり口を噤む。頭を撫でられる、その行為自体には特に明確な意図も見受けられないが、それは周囲から見ても同じことだと思うのでどうでもよくなる。
ただ、いい子、と扱われているようなのが気に入らない。
「大事にしてくれてたんだね」
「…?何をだ?」
「んー……僕を、かな」
「…意味がわからん」
手を叩き落し、クリュウを押し退けて前へ歩き出すとがしょ、と小さな音を立ててクリュウも横を歩く。
にへにへと、でれでれと間の抜けた顔をなんとかしてくれ。
「でもいいなぁ。似合ってるよ」
「……だから、何の話だ」
飄々とかわそうとする会話に苛々として前髪を弄くろうと手を伸ばし、指先が硬い物に当たる。そろそろと自分で何度も髪を撫で、触り、記憶を探る。なんだこの感触は。どうして髪にこんな物がある――と考えて、本日の記憶の最下層にたどり着く。朝、起きて、すぐ。
「……まさか」
緩慢な動作だと、自分で思えるほどのろのろと指を動かし、その髪にくっついている物を外す。カチ、と小さな音を立ててそれは手の中に収まった。
小さな、青い花を象った髪留め。眼の色と同じで綺麗だと、これを寄越した人間は笑顔で言った。
「あー…折角似合ってたのに」
「クリュウ……」
「でも、ずっと持っててくれたんだね。ヴァリラのことだから、こんなもの!って捨てるかと思ってたけど、ちゃんと使ってくれてたみたいだし」
でへ、と笑って手の中からそれを引ったくり、再びそれを人の髪に留める。髪留めであるから使われ方としては正しい。
ああ、使っていたとも。毎朝必ず、洗顔時にのみ。前髪が落ちるのを煩わしいと思ったときに丁度目に入ったそれを使ってみたら思いの外使い勝手が良かったから、こっそりと愛用していたものだ。
朝食の時、ナシュメントは気付いたはずだ。なのに何故言わなかった!金の匠合を出てからここに来るまでにも何人かに会った、なのにそいつらも何も言わなかった。サナレも、唯一ラジィが何かを言いかけていたところを見るに、あいつだけは忠告しようとしたのだろう。――最も、サナレが遮ったが。
「嬉しいよ。ありがとう」
にこにこと、本当に嬉しそうにこれを寄越した張本人は笑う。そもそも、女性用としか思えないそれを、寄越したのが悪い。そうだ、そうに決まっている。
あまりに腹立たしくなってきたのでさっき留められたばかりの髪留めを自分の手で外すと、銀色の髪に強引に留めた。
視界に、髪留めでくるりとクセのついた金色の髪が入った。