ケホケホと咳き込んだかと思えばはあ、と深い溜息を幾度か繰り返す声が受話器の向こうから遠く微かに――本人は隠しているつもりだ――聞こえたのに思わずこちらまでも深い溜息を吐いた。
電話の向こう、不機嫌に(それだけじゃないけど)掠れた声が不満を訴える。
『何だ』
「ソル、隠し事はやめた方がいいよ」
『はあ?別に俺は何も』
そこで一旦言葉を切り、ソルは溜息を吐く。苦しいのなら苦しいと素直に言えばいいのに。
「息をするのも苦しい、違う?」
『何が』
「君が」
『どうして』
「流行の風邪を見事にひいたから」
『流行って…たのか?』
そういうことを言っているわけじゃないんだけど。
「流行ってるからいいってわけじゃないよ。もう電話切るね。苦しいならちゃんと休む事。いいね?」
『ちょ、だから俺は別に苦しいことなんてっ』
ゲホゲホ、と今回は隠し切れなかった咳にソルもさすがにごまかしきれない事を悟ったらしく、また深い溜息を零した。
「ソル」
『うるさい』
「強情」
『うるさい。切るなら切ればいいだろっ』
「君が切ったらね」
『……ああ、畜生!』
強情、意地っ張り、意地悪、悪人、等の罵倒をソルは繰り返し言うが電話を全く切れずに最後には息を切らして黙ってしまった。
さすがに可哀想なことをしたかな、と思って名前を呼ぼうと口を開いたところで空気を読んだのかソルがつぶやく。
『馬鹿』
そこで電話の音が途切れた。受話器から空しいツーツー、という電子音だけが聞こえる。
「先輩、何してんすか?」
カツヤの声に我に返って僕は受話器を戻した。
「ああ、家にね」
「ああ、そうっすか。俺も電話しとこうかな…」
「うん、そうした方がいいと思うよ」
「ですね」
今まで使っていた公衆電話を明け渡し、カツヤにおやすみと言って廊下を歩き出す。
部活の合宿なんてサボれば良かったかな。部長がそんなわけにもいかないか。
「馬鹿…ねえ」
その『馬鹿』と言うたった一言に『寂しい。早く帰って来い』と言われた気がしたのはやっぱり僕が馬鹿だからだろうか。
明日の朝にも電話しよう。きっと声を聞きたがっているに違いない。
なんて。声を聞きたいのは多分僕なんだろう。小さく馬鹿、というあの声を。