「あ」
なんでもない重要なことではないけれど、リプレにいれてもらったホットミルクに膜がはってあった。ただそれだけのことだったけれど俺は我知らず声をあげていた。
「どうかしたの?」
思った通りコイツ――トウヤ――が声をかけてきたのに俺は顔を上げる。
「膜」
「まく?」
ほら、とカップの中身を見せると安心したように頷く。
それから何かを考えるように顎に手をやり首を捻っていた。
「トウヤ?」
「ホットミルクに何故膜が出来るって、考えた事ある?」
「え?」
「何で膜はるのかなーって、思ったことってないかな」
「…ない」
そんなこと、生きていくためにはどうだっていい些細なことだったから、考えもしなかった。
そもそもミルク自体、そんなに飲みたいとは思うことはなかったし。
小さい頃からやたらと酒を飲んでいた記憶はあるが――。
「んーとね。僕の母親が言ってた事なんだけど、『成分を守るためなんじゃないか』って」
「で?」
「本当は関係なくて、牛乳の成分を加熱することによってただ出来るだけなんだ」
「ふぅん」
「具体的に説明するとね」
「あ、いい、しなくて」
トウヤの世界では『科学』というものが発展しているからよくわからない言葉が多すぎる。
この間も「雨は何故降ると思う?」とか言ってわけのわからないことを語りだすしで腹が立った。
どうでもいいじゃないかそんなこと。
生きてく上で知らなきゃならないようなことか?
「そう、だね」
「ああ」
「でもさ、膜って不思議だよね」
「は?」
「成分が固まるって言っても出来る必要性ってのがわからないだろう?」
「まぁ、な」
俺の手からカップを奪うとトウヤは躊躇せずに口をつけた。
「ほら、なんだか気持ち悪くて飲みにくいし」
はい、と俺にカップを返す。
確かに膜は気持ち悪くて飲みにくいとは感じていた。そんなもの出来る必要性も確かにわからない。
「守るためってのは案外、いい答えなのかもな」
自然に口からこぼれた言葉に自分自身呆れてしまう。
つまらない答えだ。
「そうだね、守るためってのもいいかもね」
トウヤがくすりと俺の心を見透かしたかのように笑う。
俺はカップを持ってぐいっと一気に飲み干した。
ミルクはほとんど冷えていた。
「あ」
トウヤが声をあげるのに今度は俺が「どうかしたのか?」と問い掛ける。
「間接キス」
唇に指を当てて楽しそうに笑う。
「……馬鹿か?」
「酷いなぁ。せめて純真だと言ってくれないかな」
「誰がだ。いい年して馬鹿だろお前」
「うーん。どうかな?」
「熱でもあるんじゃねえのか?」
トウヤの額に手を当ててみたが平熱だった。
「熱はない、か」
「大丈夫だよ」
へらへらと笑う。
おかしなもんでも食べたのか?
「まぁ、お前も一度熱でも出したらいいんじゃねえのか?」
「何で?」
「膜が出来るかもしれないだろ」
「まさか」
とトウヤは笑ってから真面目な顔に戻る。
「まてよ…牛乳の成分はタンパク質と水で、人間の体もそうだから案外出来るかも」
「出来るもんなのか……?」
「さぁ、どうだか」
両手を挙げてはぐらかすようにトウヤは笑った。
「ま、人間の体温程度じゃ無理だろうけどね。それこそ100度に近くないと。誰か茹ででみたらわかるんじゃないの?」
「無責任だな」
「僕だってやったことないからね」
「普通やらねえよ」
「そりゃそうだ」
手を下ろしてトウヤは俺のカップをつかむとリプレが作っておいた残りのミルクを注いだ。
ホットミルクだったのだが――もう冷えてなんと呼べばいいのかわからない。
トウヤはそれを一気に飲み干す。
「あ」
「どうかした?」
カップを片手にトウヤはきょとんとした顔で問い掛けてくる。
「間接キス」
俺がつぶやいたのを見て、トウヤは心底愉快そうに微笑んだ。