蒸し蒸しと、体に纏わりつく空気に、片手でカッターシャツの襟元を寛げるともう片方の手で風を送り込もうとする。しかしそれも無駄な努力でしかなく、湿度の高い空気は依然として制服をぴたりと体に密着させた。
あっちい、と零せば隣からコンビニ寄ろうよ、と言われ一も二も無く賛成する。だらだらと歩き、一番最初に遭遇したコンビニエンスストアに、二人して飛び込んだ。
強い冷房にぶるりと体を震わせ、肩から力を抜く。同時に入った部活仲間は、既に飲料水の並んだケースを覗き見ていた。
「買う?」
「炭酸系欲しいよねー」
「だよな」
近づいて尋ねれば、新作の炭酸飲料に視線を固定したまま答えられる。確かにあれは気になっていたな、と財布を開いて確認するが、この暑さで連日のようにアイスだのカキ氷だのを購入していたためか、想像よりも幾分か多く減っていた。
「あー今月もうヤバイ」
「ボクもー」
「これから部活だしな……」
「あーでもこれ期間限定だし。いつまでだろー」
「夏季限定……月末くらいじゃね?」
じっと新作の飲料水を見つめて動かないピンクと水色に溜息をついてその場を離れる。いくら眺めても今買うわけにはいかないことは彼も知っているだろう。
「せめて部活後ならなー」
アイスのケースを眺めて、ぽつりと呟く。最近お気に入りの新作アイスは、2個買うと割引もあるとあってか、数がかなり少なくなっていた。部活後にも残っているだろうかと考えながらも、諦める。
「半田それ好きだよね」
「まあなー。マックスは諦めたのか?」
「しょうがないじゃない。帰りにするよ」
「だよなーオレもそうしよ」
あーあと大きく溜息を吐いて、行くか、と促せばちょっと待って、とマックスは本のコーナーへと向かう。だらだらとその後を追うと、新規の来客を告げる音楽が流れた。少し遅れていらっしゃいませーと店員の声がしたのにちらりとそちらを見て、お、と声を漏らす。
「あっちー……あれ、半田」
「来てたのか」
キャプテンと連れ立って、青色の髪が揺れる。長いそれが視界に入るだけで、外の暑さを思い出し半田は眉を寄せた。
「お前らも寄り道か?」
「まあなーこう暑くちゃ……」
ぱたぱたと手で風を送りながら、円堂がぼやく。一度バンダナを軽く上に持ち上げると、額の汗を拭った。
「水でも買おうと思ってさ」
涼しい顔をした風丸が、長い髪を揺らしながら飲料水のケースへと向かうのに、円堂もその後に続く。
「暑苦しいよね」
突如背後からかけられた言葉に振り返ると、雑誌を手にしたマックスが立っていた。見慣れた漫画雑誌はよく半田が読んでいるもので、彼が持っているのは珍しい。
「それ買うのか?」
「ううん。一個続きが気になっただけ」
目当てのところを読んでしまったのか、雑誌を棚に戻してしまうと、彼はふいと視線を飲料水コーナーへと向けた。見慣れた二人が仲良くケースを覗きこみ、どれにしようかと迷っている姿が見える。
「まぁ、風丸の髪は暑苦しいよなー」
「そっち?」
「へ?」
長い髪が揺れる。暑いこの季節には正直あまり見ていたくないものだと思っていたからそのまま言ったのだけれど、マックスにはそうではなかったのか、と考えていると、彼は大きく息を吸い、わざとらしい溜息を吐いた。
「まー半田だし」
「なんだよ」
「べっつにー」
意地悪くそれだけ言うと、今度はレジ前のケースを覗く。少し冷房に冷えてきた体には、唐揚げやポテトの入ったそこは魅力的に思えたが、視線を外へと向ければ炎天下が広がっているのに辟易とする。
「オレもうここ出たくない」
「なに言ってるんだよ」
ぼやくと、背中に冷たいものが押し当てられ、ひゃっと思わず高い声が上がった。振り向けば、背後に立っていた風丸が驚いたように目を瞬かせている。
「なにすんだよー」
「すまんすまん。そんなに驚くとは思ってなくてな」
「もー…いいけどさー…それ買うのか?」
先ほど背に押し当てられたと思われる、ごくシンプルな水のペットボトルを指差す。風丸はああ、と頷くとレジに並んだ。風丸の前にはマックスがちゃっかり何かをレジに差し出している。
「あっちーよなぁ。今日35度越えだってさ」
「んなの今に始まったことじゃないだろ」
「だな」
自然と隣にやってきた円堂が、自分の手で顔に風を送りながらのんびりと言うのに、溜息交じりで返した。まだあっちいと呟きながら、円堂は手をせわしなく動かす。半田は少し体が冷えてきていたが、先ほど入ったばかりの円堂はまだ暑いらしい。
「バンダナ取れば良くね?」
「取ったほうが暑いだろー」
思わず言えば、バンダナを親指で軽く引っ張りながら円堂は視線を上へと向ける。外す気は無いらしく、風を送り込むと、すぐに元に戻した。
「オレにはその色が暑いっての」
「オレには見えねえもん」
「うっわー」
「お待たせー…って、どうかしたか?」
戻ってきた風丸が円堂に声をかける。別に、と笑うと風丸と並び、円堂は外へと向かって歩き始めた。つられて半田もその後を歩き出すと、隣に並んだマックスが小さなチョコ菓子の梱包を解き、口の中へ運ぶ。
「なんだ、それかよ」
「期間限定でさーまだ食べてなかったんだよね」
「好きだよなー期間限定」
「まぁね」
マックスが味わったところで、ぴろりろん、と間の抜けた音が鳴り、自動ドアが開く。むわっとした空気が纏わりついてくることを思い出し、二人して顔を顰めた。前を歩く円堂と風丸も同じだったらしく、伝う汗に笑いあい、ペットボトルを頬に押し付けあう。
そのうち風丸が腕で額を拭うと、円堂は、風丸の項を指で拭った。揺れるポニーテールの向こう、円堂の手が離れるのをぼうっと眺める。眺めて、脳に信号が伝わり、半田は何かを瞬間で悟った。
「あっ」
声を上げ、立ち止まる。マックスも隣で歩を止めると、半田をほんの少し見上げた。
「暑苦しー……」
「でしょ」
本人たちは至って普通のことなんだろうけど。マックスの言葉は真に迫っていて、今まで半田ですら見慣れた光景のように日常に押し込めていたが、そうではなかったことに気が付いた。
「うわーもう、あっちい」
「だよねー」
「お前は帽子取れば良くね?」
帽子の耳元を持ち上げて手で風を送り込んでいるのに、思わずそう言えば、えーと拗ねた声が返される。
「帽子無いほうが暑いじゃない」
「オレには見てるだけで暑いっての」
「ちゃんと夏用だし」
「……なんかそこまでいくとすごいな」
じりじりと太陽に焦がされ、肌が痛む。日焼け止めなんてものはしておらず、夏が終わればこんがりとしたサッカー部の出来上がりなんだろうなぁ、とぼんやり考えながら空を見上げた。確かに頭も暑く、ぼうっとしてしまうのに、帽子は有効かもしれない。
「よし、サッカーだ!サッカー!」
と、突如円堂が声を張り上げるのに、我に返って前を歩く二人を見る。円堂の顔が珍しく、真っ赤になっていた。
「暑さじゃないよな」
「暑さじゃないね」
隣に並ぶ風丸が、前髪で表情を隠しているけれど、真っ赤な耳が隠せていないことに二人囁きあった。
「くそ、ただでさえ暑いってのに」
「ホラ、走るぜ半田!マックス!」
ぼやけば、振り向いた円堂が両腕を振り足踏みをする。ちらりとマックスを見れば、両手を軽く上げた。お手上げ、のポーズだ。
「一番最後に部室に着いたヤツが、後でアイス奢ることな」
風丸が笑う。ずりぃ、と内心声を上げながら半田は呟く。
「マジかよ」
「ボク、キャプテンよりは早く着く自信あるなぁ」
走り出した円堂を追いかけ、マックスが走り出す。風丸はまだ走り出さず、残された半田を見ていた。余裕な姿に、舌打ちを軽くすると半田も走りはじめる。
「だああああああっ!」
一心不乱に腕と足を動かせば、風が体に纏わりつく。太陽の暑さなど、もう気にならなくなっていた。