寒さが厳しくなるにつれ、日が落ちるのも早くなったのに円堂は溜息を吐いた。吐き出した息が目の前で白く染まるが、すぐに見えなくなる。
「円堂、もう帰ろう」
ベンチに腰かけ、肩を震わせる風丸に、もうちょっと、と告げるとタイヤを力いっぱい押す。振り子のようにタイヤは戻ってくるのを両手で受け止めた、つもりが弾かれた。顔面から地面に落ち、頭の上からは風丸の溜息が落ちる。
「……先に帰ってろよ」
ちょっと拗ねたような声が出てしまったことに、円堂自身僅かに動揺しながらも、顔を背けて起き上がる。風丸の視線が後頭部に突き刺さっているのはわかったが、振り向けないでいると、またしても溜息が聞こえた。
「お前ほっとくと無茶するからな。お目付け役なんだとさ」
「なんだそれ」
「どうもこうも……」
何かを言いかけて、風丸の声が途切れる。反射的に振り向くと、風丸は両手で口元を覆っていた。目を細め、ふ、と呼吸音を漏らし、その後盛大にくしゃみをする。
「っ、ふぁー……」
「だから、先帰ってろって言っただろ」
「だから、俺はお目付け役でー」
また言葉を止め、風丸が目を細めた。ひくりと鼻が動き、前兆を訴えてくる。
「っくしゅん」
「あーあーあー負けた!俺の負けだ!」
タイヤから離れるとベンチに座る風丸に一気に駆け寄り、頭から抱きしめる。制服から髪から、何もかもが冷たく凍えていた。
「風丸も一緒に特訓すれば良かったのに」
「休むのも特訓のうちだろ」
「わかってるよ」
「わかってるなら、ほら、帰るぞ」
ぽんと背中を叩かれ、円堂が体を離すと風丸は微笑んだ。冷えた髪を撫で、円堂は背を正し、荷物を取ろうと振り返る。振り返って、ぴたりと動きを止めた。
「ん?」
異変に気付いた風丸が円堂の視線の先を追うように、ベンチに座ったままひょいと体を動かす。視界に入ったものに、あ、あーと声を上げると、溜息を吐いて空を見上げた。
「いやぁ、すっかりお邪魔虫っすね」
「そうでやんしたねーあっしらは帰るんでキャプテン、ごゆっくり」
「ごゆっくりどうぞー!」
ガサガサと草を揺らしながら一年生たちが鉄塔広場の階段を下りていく。その後ろをこそこそと隠れるように豪炎寺や鬼道がついていくのが見えた。
「俺は止めたんだぞ!風丸に任せてればいいだろって!」
染岡の叫びも虚しく、にやにやと笑いながら松野と半田が円堂の肩を叩いた。両側から耳元に同時に囁く。
「ごゆっくりどうぞー」
染岡を連れて、二人は歩き出す。最後に一之瀬がとびっきりの笑顔で親指を立てた。それを土門が強引に引っ張り街へと消えていく。
「なんか、勘違いされてんだけど」
ようやく出た円堂の言葉に、風丸は空を指差す。円堂も仰ぎ見れば、澄んだ空に星が瞬いていた。
「昨日、流星群だったらしいぜ」
「へー見れば良かったな」
「昨日は雨だっただろ」
お前練習に来なかっただろ、と笑われてそうだったっけと思い出す。星を眺めたのなんてどれくらい振りのことだろうか。
「宇宙は広いなー」
「そうだな。……なあ、円堂」
「ん?」
呼ばれ、地上に視線を戻す。風丸は微笑みながら、円堂を見ていた。
「なんだよ」
「いや、別、にっしゅん!」
言いかけた言葉がくしゃみでかき消される。ううーと鼻を押さえて風丸は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。そうだった、風丸は冷えてるんだった。思い出した円堂に再びぎゅっと抱きしめられ、暖を取るように風丸は擦り寄る。
「あーあったかー」
「風丸つめたー」
「それだけお前が待たせてたんだぜ。俺の冷たさを知れ」
言うと同時か、両頬に風丸の両手があてられる。ぞくりと背筋が冷えて鳥肌が立ったのに身を震わせると風丸がからからと笑った。
「思い知ったか」
「すいません俺が悪かったです」
頬を両手で温めながら円堂が頭を下げる。腕を組み、拗ねたような表情を見せていた風丸も、暫くして頬を緩めた。
「帰ろうぜ」
「ああ」
鞄を肩に引っ掛けると風丸は立ち上がり大きく背伸びをする。ううん、と声を上げて空をまた見上げるのに、円堂はその背中をぼんやりと見詰めた。腕を挙げ大きく背を伸ばし、踵を浮かせる。しなやかな背がぴんと伸びていた。
「なあ、円堂」
腕を下ろして、風丸は息を吐き出すように呼びかける。白い息が後ろからでも見えた。
「勘違いのままにするか、本当にするかはお前次第なんだけど」
どうする?振り返った風丸が、にやにやと笑う。右手が差し伸べられているのに、その手を掴んだ。冷えた手を暖めるように引き寄せて息を吹きかける。
「どうしたい?風丸」