ひぐっと変な音がして、松野は振り返った。ぱちっと斜め後ろにいた半田と視線が合う。
「何?どうかしたのかよ」
「えーいや……気のせいかなぁ」
ううーんと帽子を掻きながら前を見るとゴールに立つ円堂に向かって染岡がシュートをしているところだった。バシっと音を立ててボールを両腕に受け止めると、キャプテンはにかっと笑ってナイスシュート!と声を張り上げる。
ひっ。
円堂の言葉に紛れて、再び聞こえた不思議な音に松野は再度振り返った。今度は影野が視界に入り、首を傾げてじっと見られるのに首を横に振る。違う。その、後ろだ。
たたっと走り出すと松野は影野の後ろに回りこんだ。急に駆け寄られあわあわと影野が長い髪を揺らしながらよろめき、半田とぶつかる。ぶつかった反動で半田が鬼道のマントの裾を踏み、三人はもつれるように転んだ。
しかし今の松野にとって、重要なのは目の前にいる人物だった。ぎょっとしたように彼は松野を見る。
「風丸」
「マッ」
ひ、と彼の喉が鳴った。これだ。これこそ先程から探していた音の出所だ。満足そうに松野はにんまりと笑む。
「マックスー!てめえ!」
半田が起き上がりながら叫ぶ。鬼道はびっくりして地に伏したままで、影野がそれを助け起こそうとしていた。豪炎寺や染岡、円堂までもわらわらと三人に集まる。しかし、松野と風丸は見詰め合ったままぴくりとも動かなかった。
「マックス」
「風丸」
「これ、は、その」
ひぐっと喉を鳴らし、堪えるように彼は口を閉ざす。胃の辺りを手で押さえ、俯いて目を逸らした。
「何?どうかしたのか?」
二人の様子に気付いた円堂が歩み寄り、風丸の顔を覗き込む。視線が合う前に風丸はふいっと顔を逸らし、円堂はそれに驚いたのか、えっと声を上げた。
「どうしたんだよ」
「や、なんか風丸が、変なんだ」
打った尻を押さえながら半田が声をかけると、円堂はきょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせながら風丸をちらりと見る。よほど視線を逸らされたことがショックだったのか、伺うような視線を送るが、風丸はだんまりを決め込みそっぽを向いていた。
「なんだ、どうした」
「どうしたんすか」
ぞろぞろと部員が集まり、輪を作る。輪の中心で、黙って俯く風丸を松野は指差した。
「しゃっくり止まらないんだって」
「マック」
ひっく。
全員に聞こえる声量で、しゃっくりが響いた。ああ、と円堂が安堵の息を漏らす。
「それでかーしゃっくり知られたくなかったんだろ」
「うるさい円堂」
真っ赤になった風丸が円堂を睨む。ひくっと喉が鳴るのを、もう堪えようとはしなかったが、苦しそうに顔を歪めた。
「いつからだ」
「部活、は、じまったくらい」
「長いな。息は止めたか?」
「もう10回くらっ、いっ、はやった」
そうか、と鬼道が黙り込む。その間に豪炎寺が木野を手招きし、スポーツドリンクを持ってきてもらうと風丸に差し出した。
「とりあえず落ち着いて飲んでみろ」
「ありがと……」
ペットボトルを手に、口に当てようとして風丸は手を下ろす。どうした、と円堂が声をかけると、ああ、と落ち着かない様子で風丸は言葉を濁した。
「あんま、り見るなよ」
「あ、ああ、悪い」
恥ずかしそうに言われ、円堂が慌てて回れ右をすると次々とそれに習いくるりと風丸に背を向ける。いや、そこまでしなくても、と苦笑いを浮かべながらも風丸はスポーツドリンクを喉へ流し込んだ。
「どうだ?」
その場に同じように立ったままだった豪炎寺が声をかける。んーと風丸は間を空け、口を開いた。
ひくっと、しゃくりあげる呼吸音が出る。
「駄目でやんすね」
「え、ええと、驚かしましょうか?」
「言っちゃ駄目だよー」
おろおろと宍戸が言い出したことに、少林寺が突っ込む。
「ありがと、な、二人、とも」
相変わらずしゃっくりが止まらないまま、二人の頭を撫でて風丸は微笑んだ。いつもの通り先輩ぶってみるものの、ひっくひっくと言っていては様にならない。
「んーじゃあ、やってみるか」
「何をだ?」
何かを決意したかのように円堂は風丸の手を引くと歩き出す。しゃっくりを止める方法を考え込んでいた鬼道がその背に声をかけるが、円堂は答えずにそのままいつものポジションまで風丸を連れて行った。
「なん、だよ。円堂」
「ここ立ってろよ」
「立ってって……まさか」
「豪炎寺ーファイアトルネード!」
円堂の呼びかけに、全員がひいいと叫ぶ。指名された豪炎寺も例外でなく、ちょっと待て!と大声で怒鳴った。ゴール前に立たされた風丸はひくっと引きつったしゃっくりを漏らしながら円堂を見る。
「いいから、やれ!」
「いやいやいやいや、駄目だろ!」
「もーしょうがないなぁー」
慌てて止めに入ろうとした土門の肩を押し、一之瀬が歩みだす。まさか、スピニングシュートを打つのか、と土門がその背を掴もうとするも、ひらりとかわすと一之瀬は風丸の正面に立った。
グラウンドに緊張が走る。円堂がごくりと唾を飲み込み、構えるその前で、一之瀬はにんまり笑うと口を開いた。
「1かけ1は?」
「はっ?」
「いいから。1かけ1」
「い、いち……?」
ええと、少し悩んで風丸は答える。単純な計算であるが、突然言われると困るもので、なんだか変に自信が無かった。
「はい正解」
パンと両手を打ち鳴らすと、一之瀬はくるりと回り土門の隣へと駆け戻る。唖然とその背を見送り、風丸はようやく己に身に起きたことを悟った。
「あ、止まった」
なんともない。呼吸も苦しくもない。止まった、と再度繰り返し顔を上げる。その表情は晴れ晴れと輝いていた。
「止まった!ありがとう一之瀬!」
「なるほど、その手があったか」
「さすがは一之瀬君ですねぇ」
うんうんと頷く鬼道に同意するように、目金がメガネのフレームを押し上げながら言う。
「しゃっくりを止めるには気を逸らすのが一番ですからねぇ」
「驚かすもそういったことと同じだがな」
話し込む二人の横で松野はあーあと声を漏らし唇を尖らせた。それを見た半田が思い出したかのように松野の前に立つ。
「マックス、さっきの謝れよ」
「さっきの?あーあーあれね。ごめんねー影野ー」
ぶんぶん両手を振りながら謝ると、影野はいいよ、と唇の端を持ち上げた。いいってさ。すぐに半田に向き合い松野はにやーと笑う。
「俺と鬼道は?」
「鬼道はもう気にしてないでしょ」
指差した方向では、いまだ延々と目金としゃっくりの止め方について話し合う鬼道の姿が見えた。ああ、もう。半田は大きな溜息を吐き出すと、諦めの境地へと辿り着く。
「細かいことにこだわるなよ、半田ー」
「あーもう練習再開しようぜ。なぁ、円堂ー……円堂?」
顔を上げ、ゴール前を見る。円堂と風丸がなにやら深刻に話し合っていた。心配そうに風丸が円堂の背を撫で、円堂は胸元を押さえている。
「円堂!」
走り出した半田に釣られ、全員の視線が円堂と風丸に集まる。気付いた風丸が顔を上げると、困ったように眉を寄せていた。
「どうしたんだ?」
「それが……」
「どうした!」
鬼道も駆け寄り、円堂を覗き込む。円堂は大きな手でそれを阻むと、顔を上げてにかっと笑った。
「なんでもないって!」
「しゃっくりが止まらないんだ」
誤魔化そうとした円堂の言葉を、風丸が打ち消す。はあ、と鬼道の口から気の抜けた相槌が出た。
「さっきの一之瀬方式も試したけど駄目で……もう、あれしかないよな」
「い、いや、風丸、さっき、はっ、俺がわるか」
「豪炎寺!」
叫ぶなり風丸は円堂を離すと、ボールを蹴り上げる。あ、やばい、と全員が一斉に円堂に背を向けダッシュした。
豪炎寺と風丸の間でボールが再度上げられる。飛び上がった風丸の姿を円堂は呆然と見送った。これはまさに。
「炎の風見鶏!」
ああ、やはり。円堂はその場に立ち尽くす。ゴッドハンドも間に合わない。さっきの怒ってたんだなーあーごめん。と、届かない謝罪をしたところで、顔面すれすれを横切りボールはゴールへと吸い込まれていった。
「あ、あれ?」
「ぶつけるわけないだろ」
地面に降り立った風丸が笑う。なぁんだ、とつまらなそうに松野は呟いたところで、ふと疑問が頭を過ぎる。
「そういやさーなんでキャプテン、いきなり風丸のしゃっくりうつったの?」
「え」
ぴたりと二人の動きが止まる。なんで?と再度問いかける松野から視線を逸らし、あーあーと円堂は声を出した。
「どうでもいいだろ!俺も止まったし、練習再開だ!」
「そうだな!行くぞ、マックス」
「えっ、ちょっと、なんで」
「細かいことにこだわるなよーマックスー」
にやにやと半田が松野の口調を真似る。似てない中途半田!叫んで松野は半田の脛を蹴り上げた。